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大阪地方裁判所 昭和37年(ワ)1670号 判決 1965年11月25日

原告 大倉恒雄

被告 国

訴訟代理人 川村俊雄 外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一、原告主張請求原因一の事実は、当事者間に争いがない。

二、〈証拠省略〉弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

不動産ブローカー訴外仲井春生、同訴外岡本甲作、司法書士訴外高原博らは、常習として、共謀のうえ、訴外田原新一郎がその所有の別紙目録記載の土地を十分管理しないで放置していたのに乗じ、同土地を情を知らない訴外河合勝名義に所有権移転登記をしたうえ、右河合になりすまして同土地を売却し、代金名下に金員を騙取しようと企てた。

右犯罪を遂行するため、昭和三七年一月二八日頃、神戸市生田区多回通二丁目一七番地の二の高原の事務所において、

(一)  岡本が神戸市葺合区長山本篤実のゴム印を押捺してある印鑑証明用紙一枚の右区長名下に、別に真正に作成された同区長作成名義の住民票謄本ないし抄本に押捺された「住民登録専用神戸市葺合区長之印」と彫つた同区長公印の印影を謄写板原紙に複写した印影をあてがい、右印鑑証明用紙の裏面から固体物でこすりつけて右原紙に複写した印影を転写する方法で顕出し、右印鑑証明用紙の上端にも右同様の方法で、契印の印影として、右区長公印の一部を顕出し、同用紙の印鑑捺印欄に「田原」と彫つた認印を押捺し、仲井が右用紙にペンで田原の住所氏名生年月日を記入して、神戸市葺合区長作成名義の田原新一郎の印鑑証明〈証拠省略〉を偽造し、

(二)  岡本が、大阪市阿倍野区長と印刷してある印鑑証明用紙二枚の右区長名下に、別に真正に作成された同区長作成名義の印鑑証明書に押捺された「戸籍専用大阪市阿倍野区長之印」と彫つた同区長公印の印影を、前同様の方法で顕出し、右各印鑑証明用紙の上端に契印として、それぞれ「契」と彫つた有り合わせの印の一部を押捺してその印影を顕出し、印鑑捺印欄に「北畑」、「岩井」と彫つた認印を押捺し、仲井が右用紙二枚にそれぞれペン書で北畑恒雄、岩井信一の住所氏名、生年月日を記入して、大阪市阿倍野区長作成名義の北畑恒雄、岩井信一の印鑑証明書各一通計二通(乙第五号証のイ、ロ)を偽造した。

以上の事実が認められる。原告本人尋問の結果中、右北畑、岩井の偽造印鑑証明の各契印は手書きであると思うという点は信用しない。ほかに右認定を左右する証拠はない。

三、ところで、本件登記申請に際し、大阪法務局中野出張所法務事務官岩井平三が調査と校合を担当したことは当事者間に争いがなく、証人岩井平三の証言によると、同事務官が印鑑照合も担当したことが認められる。

四、そこで、岩井平三事務官について過失の存否を判断する。

〈証拠省略〉を、比較対照すると、

1  本件印鑑証明は、いずれも用紙の紙質及び大きさ、書式、印刷文字、区長ゴム印(葺合区長作成名義分のみ)が、いずれも当該区長の発行する真正な印鑑証明と全く同一であり、

2  本件印鑑証明に顕出された各区長公印が真正な印影と大きさ、字体において同一である。

3  本件印鑑証明の各区長公印の印影は朱肉の色が薄く、かつ、字体もぼやけており、

4  本件印鑑証明は、裏面から良く注意してみると、右印影の個所だけ固体物で裏面からこすりつけた痕跡が見られる。

5  「契」と彫つた契印の印影(阿倍野区長作成名義分)は、真正な印鑑証明のものより大きさ字体が異なり、

6  作成日付のゴム印の印影は、真正な印鑑証明のものと大きさ字体が異なるばかりでなく、本件印鑑証明は葺合区長作成名義分も阿倍野区長作成名義分も同一のスタンプインキにより同一のゴム印を押捺している。

7  作成者欄の「磯辺」と彫つた認印の印影(阿倍野区長作成名義分)も、真正な印鑑証明のものと大きさ字体が異なる。

五、ところで、前記3の朱肉の色の薄いこと、字体のぼやけていることは、〈証拠省略〉から明らかなとおり、それが一見して不審の念を起させる程極端に通常のものと異なつた状態のものではないのであつて、この程度のものは、往々にして、印鑑に一度朱肉をつけたまま多数回押したり、力を弱めて押したり、押捺する紙面の下にある物体の状態等により、容易く顕出されるものであることは経験則上明らかであり、この点から本件印鑑証明が偽造であると看取することはできないというべきである。

前記4の裏面の痕跡は、本件印鑑証明を殊更に裏返して(本件印鑑証明のうち阿倍野区長作成名義分は、下端部も、のり付けされていて、裏返したところで当該個所の全体を見ることはできない。)、しかも、特に指摘されたうえ注意して当該個所を見るのでなければ発見できないものである。登記官吏が、登記申請にあたつて申請書に添付された印鑑証明を審査するに際し、登記官吏としての職務上の知識から、その印鑑証明じたい、或は諸般の事情等から、それが偽造であるかも知れないという疑がある場合は格別であるけれども、そのような徴候の認められず、前記1、2のとおりの本件のような場合、前示のような偽造方法の存在を知悉したうえ申請書にのり付けされた印鑑証明を一々裏返して、発行者の公印押捺個所の裏面を点検しなければならない注意義務があるとは到底解することができない。

前記5、6、7の契印、作成日付ゴム印、作成者認印の点は、それじたいが一見して不審の念を起させる程異常でない限り、登記官吏において真正のこれらの印影を逐一記憶することを要求するのは不能を強いるものであつて、この点を看過したところで、登記官吏に注意義務に欠けるところはないと解する。たとえ、それが当該登記官吏所属の登記所の管轄区域内の区の長が発行する印鑑証明であり、当該登記官吏が最も多く見なれているものであつても、また、異なる区長の日付ゴム印が同じゴム印を使用していたとしても、同様であると解する。

六、以上要するに、本件印鑑証明の偽造は、登記所に提出する害類の代行作成を業務とする司法書士が加わり、不動産ブローカーらが常習として行なつた特別に精緻巧妙な偽造であつて、登記官吏にこれを看破することは到底期待できない程度のものであり、岩井平三事務官においてこれを看過した点につき、その過失があるとすることはできない。

七、よつて、その余の判断をするまでもなく、本訴請求は理由がないから棄却し、民訴八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 平田孝)

物件目録〈省略〉

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